小さな頃から心の奥深くまで沁みわたっているこの価値観。
なんだか『当たり前の概念』になってない?
日本ならではなのかな?
ずーっと聞かされているもんだから常識だと錯覚してしまいそうになるけど、わたしはあんまりしっくりこない。
(と言いつつも「周りに迷惑かけてないんだしいいんじゃない?」なんてつい判断材料として使っちゃう)
この価値観が〇か×かはさておき(どっちの側面もあるはずだから)、個人的には生きづらさを増長させている印象があります。
てことで、改めて「他人に迷惑をかけてはいけない」という価値観について考えてみました。
他人に迷惑をかけてはいけない?
- 他人軸に誘導される感覚
- 何が『迷惑』かは人それぞれ
他人軸に誘導される感覚
他人(相手・周り・世間など)を思いやったり配慮したりするのは大切。
だけどそれにも限界はあるし、何よりさ、自分自身のことだって大切だから。
"自分自身も大切だよね"って考えが心の中から抜け落ちなければ、他人も自分も思いやってバランスよく生きられそうだけど、言葉の呪縛ってなかなか強いんだよね。
「他人に迷惑をかけてはいけない」を意識しすぎて歪んでいくと、「自分はどうしたいのか」より「他人にどう思われるか」に重きを置きすぎてしまう。
- 自分の気持ちがわからない
- いつも周りの反応が気になる
- 気づけば他人軸で行動している
こういう悩みを掘り下げていくと、「他人に迷惑をかけてはいけない」という価値観も少なからず影響してるんじゃないかな?と。
わたし自身、スーパー他人軸人生を無自覚に生きていた数年前までは完全に縛られてました。
自分がどうしたいかより、周りはどう思ってるのかを優先し続けるうちに、自分がどうしたいか感じたり考えたりするセンサーが機能しなくなってた。
何が『迷惑』かは人それぞれ
そもそもね、何が迷惑かなんて人それぞれで違ってるものだよね。
どんなことにも言えるけど、各々の主観が入ってくるから。
※大大大前提として、犯罪行為とか嫌がらせ、明らかなマナー違反みたいなものは別問題。
だから、「他人に迷惑をかけてはいけない」の精神をもとに行動を選択したはずなのに、その選択こそがまさに相手にとっては迷惑な行動だった…!なんて残念展開が起きることもあるわけです。
自分と相手の『迷惑だと感じるポイント(主観)』が違うから。
そうなるともうね、究極の話、何のアクションも起こせなくなるよね。
どこに地雷が埋まってるかわからないからここから一歩も動き出せない…!みたいな状態。
- 迷惑をかけられている
- 頼られている
- 依存されている
- 利用されている
こんな風に、個々の受け取り方次第で"事実"って変わっちゃうフシがあるよね。
これほどあいまいなのに、ずっと刷り込まれることでなぜだか『守らなければならない絶対的価値観』として大切に握りしめちゃうから、息苦しさを感じるのかも。
自分はどうしたいのか?を基軸に
「他人に迷惑をかけてはいけない」って価値観を心の中から追い出すべし!とまで強くは言わないけど、わたし自身はあんまり意識したくないな。
なぜなら、なんとなく気が重くなるから。
というのも「他人に迷惑をかけずにちゃんと生きなさいね!」っていう含みを感じるというか、ほんのり圧を込めて言われてる気分になるんだよね。
でも、わたしには"ちゃんと生きる"っていうのが難しい課題なわけです。
だから「やめてーーー!ムリーーー!」って拒否反応に近いもの(気が重くなる)が現れる。
心から追い出すまではいかなくても、モノゴトを考えて行動選択するときの主軸には置かなくていい価値観だと思う。
まずは「自分はどうしたいのか?」と向き合って、そこが明確になるまでは"他人の存在"は避けておく。(この行動を『自分勝手』と思う必要はない。自分で自分の人生に責任をもって向き合うための行動だから)
そのあとで、「じゃあ自分以外の人にとってどうなのか?(他人に迷惑をかけるのか)」を考えてみる。
自分の人生で絶対に無視できないのは"自分"だからね。
そもそも、他人の気持ちを考えるって難易度がすっごく高いことだと思う。
ゆえに「他人に迷惑をかけてはいけない」という価値観を意識しすぎると、人生の難易度がグンと上がる。
真面目にちゃんと生きようとしている人ほど、この高難易度にわざわざ自分から突入しちゃってるんじゃないかな。
わたしは自分の心が軽くなるほうを選びたい。