今回は、もっともっと自分を労ってあげてもいいよね!ってお話です。
みんな頑張りすぎてるし、ハードルを高くしすぎているし。
自分へのダメ出しは無限にできるのに、自分のいいとこ?わからない…なんてことになってませんか?
Contents
わたしたち、毎日よくやってる!
心の底から思うよ、わたしもあなたもみんな本当毎日ようやってるよなぁ~、健気だよなぁ…って。
今年から『頑張る』を言わないやらない意識で過ごすようになって、わたしの世界から『頑張る』って概念がだいぶ薄れたからかな。
『頑張る』を言わないやらない意識を育て始めてから、
- やりたいことをやる
- やる気がなくてもできることをやる
- 奮い立たせないとできないことはやらない
こういうシンプルな感覚が戻ってきて、今まで「やりたい」よりも「やらなきゃ!」で生きすぎていたってことに気づかされました。
そんな感じで、ゆるゆる気分で生きようとしている身としては、しみじみ思う。
わたしもあなたもみ~んな、毎日よくやってるよ…!と。(しつこいけどさ)
フツーだと思ってるかもしれないけど、みんなすっごく努力してるし自分に結構な課題を与えているし、毎日が戦闘モードと化してるよね。
それだけよくやってるのに全然自分を認めてあげないの。
どこかで「それくらい当たり前のことだから」って思ってるから。
なんなら、まだできていないこと・もっとできたはずのことをピックアップして反省会して自分を責めたりして…。
なぜーーーー!?
てわけで、もし足りないことがあるとすれば、自分のことをもっと労おうとする心なんじゃないの?ってことを伝えたくて書いてまいりますん。
▼頑張るって必要なの?そもそも意味は?
▼頑張るをやめてみて気づいたこと
自分で自分を労おう
自分を労うどころか、自分を責めたり「まだまだ甘いぞ…」って謎に試練を与えたり、なぜか手厳しいことをしちゃう。
もっと自分を労ってほしい人の代表格といえば、自己否定をよくしちゃう人。
- 自己否定しがちな人の特徴
- 自己否定癖の原因
- 『否定』の前に『労い』を
自己否定しがちな人の特徴
自己否定しがちな人の特徴を挙げると、こんな感じかなと。
- 向上心が強い
- 自分への期待値が高い
- 結果至上主義
- 完璧主義
以前のわたしはコンプリートしてたかも…?
いっつも一人反省会やってたし、もっとよくしていきたいからこその改善点探しで思考をぐるぐる巡らすのが大好きでした。
自己否定癖の原因
ただいつもやってるから慣れで発動させちゃってるだけなんだよね。
考え方のクセって、"どの思考回路をよく使っているか(鍛えているか)"で決まっていく。
体でたとえるなら、よく使う(鍛えている)筋肉が『自己否定筋』で、ゆえにどんどん育って当たり前の存在になっていく…みたいな話。
ほかにも対比で考えるとすれば、
- 通い慣れた道・知らない道
- 使い慣れた道具・初めて使う道具
- いつも着ている服・新しい服
- 気心知れてる人・初対面の人
きっと前者のほうが感覚的に落ち着くし、フィット感があるはず。
自己否定も同じで、いつものスタイルであるうちは無意識にその行動を選んでしまいやすいんです。
『否定』の前に『労い』を
自己否定をやめたいなら難しく考えずに、クセになっていることをやめていけばいいんだけど、それが難しいときた。
ハッと気づいたときには、いつもの『自己否定筋』使っちゃってる!また自分責めて落ち込じゃってるじゃん!ってやつなんですよね。
習慣のパワー…すごい!
だから、無意識の『否定スイッチ』が入っちゃう前に、意図的に『労いスイッチ』をONです。
一人反省会を始める前に、いったん自分をぎゅっとハグする時間でワンクッションおくクセを新しく導入します。
最初は「わたしよくやってるよね!」なんて心から思えない状態でも、棒読みでもいいからやってみてほしいな、結構変わるから!
ついいつものクセで労いを忘れて否定し始めちゃっても、気づいたタイミングで切り替えればよし。
どうしても否定したくなってきたら(そんなことあるのかは不明だけど)、自分をしっかり労ってあげてから思う存分否定すればいいさ~ってことにしましょう。
ムリに自己否定をやめようとすると、自己否定しちゃった自分をさらに否定するっていう強烈なループが始まってわけがわからなくなるからね。
自分労いキャンペーンのコツ
自己否定筋を休ませているうちに、新たに『自己労い筋』(謎の命名)を育てましょう。
今まで使ってこなかった未発達な筋肉なので、育て方がピンと来ないよね。
てわけで、わたしが意識しているポイントをシェアしておきます。
- 自分的当たり前は労いの宝庫
- 『結果』はさておき『過程』に注目
- スピードよりも長期的視点
自分的当たり前は労いの宝庫
毎日無意識レベルでやっていることがいかにすごいことか…!
当たり前を当たり前と思わず、1日の全工程を細分化して褒めに褒めちぎるつもりで労う作戦です。
当たり前がすごいってことに気づいて、ひとつずつ認めてあげられたら最高な気分になれます。
- 朝起きた
- ベッドから出られた
- カーテンを開けて換気をした
- 歯を磨いた
- 洗顔スキンケアメイクした
- 着替えた
- ゴミ出しした
- テーブルの上を整えた
- 食器を片づけた
- スマホの充電を済ませた
- 朝食を用意した
朝の時間帯だけでもこれだけたくさんのことをしているんだよ。
しかも、それを当たり前のことだと思ってる。
…すごくない?毎日よくやってるよ!!!
たとえば、料理のクオリティがどうとか、起きたけど寝坊したとかそういうのはどうでもいいの、別の話だから。
それ以前に"これだけのことを当たり前と思って行動している"っていう事実があるんだから、自分を労ってよし。
『結果』はさておき『過程』に注目
成功したか失敗したかではなく、行動したこと自体が素晴らしい。
過程に注目すると「ここよく乗り切ったよね!」「ファインプレイ!」ってポイントが隠れているので、そこに注目して労います。
たとえば、「思いを込めて真剣に取り組んだけど、目標数値には到達しなかった」とか、そういう出来事ってあるよね。
このとき結果だけに注目してしまうと、ただの残念賞で終わってしまうし、だからこそ「自分の何がダメだったのか?」だけを考え続けてしまう。
けど、過程に注目してみると得られたものがきっとあるはず。
目に見えてわかる変化はまだ感じられなかったとしても、変化のきっかけのタネみたいなものを拾えているかもしれません。
それに、「よくやったよね!」は結果がよくても悪くても、いつでも自分にかけてあげられる言葉です。
スピードよりも長期的視点
最速最短効率的なのが正義!
この考え方が間違っているとは言わないけど、相性があると思っています。
人によっては完璧主義を加速させてしまったり、自分を責める機会が増えてしまったり…。
ひとつ前の『結果と過程』とも繋がるお話だけど、結果だけを見ると失敗だったことでも、過程から眺めてみると収穫だらけ。
その収穫物たちを育てながら成長していけば、次の次のそのまた次の…いつになるかはさておき、いずれ結果は変わるはずです。
スピード命の世界もあれば、時間をかけるからこそ素敵に仕上がる世界もある。
こう考えてみると、自分なんてダメだ!って責めるきっかけを減らせるんじゃないかな。
頑張る意識から離れてみて
誰かに評価されたい、もっと注目してもらいたい、すごい人になりたいとか…そういう承認欲求たちもね、自分で自分を労う能力を高めちゃえば軽減できるの。
「わたし自身がわたしを認めてるんだから、それ以上に何がほしいの?」って感じで、ある程度満たせちゃうんですよね。
わたしは向上心が強すぎてコントロールができず、自分をとにかく頑張らせるマンだったんです。
今それをやめてみてわかることは、自分で自分を奮い立たせなくたって、改善点をわざわざ探し出そうとしなくたって大丈夫。
そんなに追い込まなくても、自分って人間は健気に生きてくれちゃうから。
もし、自己否定を通して自己成長を促そうとしている人がいるとしたら、もっと自分を信じてあげてほしいです。