最近、久しぶりに仕事辞めたいモードがMAX値まで到達しまして。
落ち着いた今ならわかる。
原因は、仕事と真正面から向き合いすぎていたから。
謎のバカまじめマンになってたんです。
こういうときって、『自分の芯』がブレていて『他人の人生』を生きようとしちゃってるサインなんだよね。
自分にとって重要じゃないことにエネルギーを注いでいると言いますか…
だから、改めて自分自身に伝えてあげたの。
もっともっとも~っとゆるくテキトーに生きていいんだよ、わたし!!って。
…ただし、自分の芯だけはハッキリさせておこうね!と念押しとともに。(ここ重要)
今回は、なぜ他人軸に流されてしまうのか?の分析&自分の芯を探し出すことの重要性をわたしなりに整理しました。
ついまじめスイッチが入っちゃうけどこのまじめ…自分にとって必要か?と、見つめ直すヒントになったら嬉しいです。
Contents
なぜかまじめに頑張っちゃう他人軸パワー
- キャパオーバーでも頑張る違和感
- 情報過多と他者中心思考
- 他者に認められたいが原動力
キャパオーバーでも頑張る違和感
わたしたちってなんでこんなに忙しいんだろう?
いつも「足りない!」「忙しい!」「もっと〇〇しなきゃ!」と、妙なせわしなさや欠乏感から逃れられなくなっているよね。
どんどん便利な社会へと進化しているはずなのにおかしくない?
この疑問に対するわたしなりの回答は、現代人はあれもこれもと全方位まじめに一生懸命に頑張ろうとしすぎちゃっている。
だからいつも忙しくてなんとなく余裕がない。
本来のキャパはとっくに超えているのに、どうして立ち止まれないの?満たされないの?頑張ろうとちゃうのおおお!?
▼ちゃんとしなくても大丈夫
情報過多と他者中心思考
なぜまじめに頑張ろうとしすぎちゃうのか?というと、『情報過多で他者に意識を向けすぎてしまうこと』が影響しているんじゃないかなと。
世間の声や一般常識、SNSから覗く世界が知らないうちに自分の中に浸食しすぎてしまう。
たとえば今日のファッション、メイク、食事…人生は選択の連続ですよね。
どれも自分の意思で決めたつもりでいるけど、よくよく考えてみるとこういう情報(他者の意見・価値観)に振り回されていた…ってことありませんか?
そして、家族や友人や恋人、同僚たちの顔色を伺って調子を合わせるのが日常化している…なんてことも。
自分は乗り気じゃないけど誰かのためにやる。
それが当たり前になって、自分の本音はどんどん後回しに。
他者に認められたいが原動力
「世間的に~」「周りはみんな〇〇だから~」と、自分以外を主軸に置いてしまうと『社会や他者の要求にこたえる』のが人生の目的になってしまう。
周りの空気や反応に敏感で察しがよくて、「気が利くね!」なんて褒められたりして。
こんな風に『他者評価の高い自分』になることが喜びにすり替わる。
これが怖いの。
すり替わってしまうとキャパオーバーだろうと苦手分野だろうと、与えられた環境下で求められていることならなんでもまじめに頑張っちゃうんです。
しかも、それが永久に続いて年々負荷が増していくというシステム。
他者の要求にこたえているうちに自分のことを考える暇はなくなり、自分のことがわからなくなっていきます。
周りにとっては気が利くあなたかもしれないけど、自分自身に対しては?
敏感に察してあげられている?
気の利いた配慮をしてあげられている?
▼他者ウケや会社ウケよりも自分ウケを狙おう
自分の芯を探し出す
- 自分の芯とは
- 芯がわかればブレても戻ってこれる
自分の『芯』とは
自分の芯がわからないまま生きるのは、目的地不明の旅行と同じ。
自分の行きたい場所がわからないから、「じゃあとりあえずみんなが行ってる場所に行ってみる?とりあえず言われたとこ巡ってみる?どうする?合わせとこっか…」となるんです。(それ楽しいの?)
これが俗に言う『他人軸』で生きちゃう原因のひとつかなと。
自分の意思がわからず他者の声を頼るしかないので、受け身になってされるがまま…与えられたらまじめに頑張っちゃうんです。
てことは、自分の芯となるものに気づくことが大切。
『芯』を言い換えると、『核』『軸』『中心』『信念』『根幹』『原動力』みたいなことかな。
(イメージしやすい言葉に置き換えてもらって大丈夫です。)
個人的解釈では…
- 自分にとっての幸せ像
- 自分が大切にしたい存在
- 自分が大切にしたい価値観
- ありたい姿・状態
- 喜び・ワクワクを感じられるもの・時間
- 生きてることを実感させてくれるもの・時間
これらを貫く(守る・実現する)ことが自分の人生にとって本当に重要なこと。
つまり、自分の人生を生きるなら、行動を選択するときの基準は『他者の声』ではなく『自分の芯』です。
芯がわかればブレても戻ってこれる
たとえば、最近のわたしは仕事と真正面から向き合いすぎて退職したくなっていた。
1週間くらい撃沈していたけど、もともと『芯』をハッキリさせていたおかげで早めに気持ちを切り替えられました。
わたしの芯を思い返すと、
- 暮らしを豊かに穏やかに生きる
- 組織で働く目的=最低限の保障を受けるため
- 組織から離れて個人で収入を生み出す
つまり、『会社での仕事には夢中にならないこと』が重要だったんです。
なのに、真正面から一生懸命に働きそうになっていた。(ブレブレ)
だから心がざわついてくれたんです。
「話違うじゃん!気づいて!ズレてるよ~!自分のこと忘れて他者ばっか見てない?」というメッセージだったんじゃないかなと。
会社で一生懸命働くのは、一般論(他者目線)的には好印象高評価。
でも、わたし目線では『芯』に逆らっているから好印象でも高評価でもなく「いやいや誰の人生生きるつもりよ?」って呼び出し案件です。
個人的には他者評価が高くても満たされないので、自分の思いにこたえていきたいと改めて感じた出来事でした。
ブレない芯を持って柔軟に生きる
芯となる部分をハッキリさせちゃえば、注力したいところだけにパワーを注いで、他はゆる~くテキトーでいい加減に生きてよし。
なんでもまじめに頑張る!
この姿勢って心意気としては成立するかもしれないけれど、現実的には心身ともにぶっ倒れます。
とにかく自分の『芯』に立ち返ってください。
(わたしも今回めっちゃくちゃブレたけど軌道修正したら肩のチカラが抜けましたよ~)
あと、なんでも頑張りすぎちゃってる人って『不安感』が強いんだと思うの。
一生懸命に勤勉にまじめに他者から評価されなきゃ幸せになれない!みたいな思い込みがありませんか?
それは本当に幻想。
むしろ自分の大切にしたいものがわからないまま頑張り続けてしまうと、どんなまじめさも勤勉さも実を結ばなかったりする。
だから、「これが守れれば(実現できれば)自分は幸せだ!」ってものを自分の中から探し出してみてほしいです。
他のものはゆるくテキトーにやり過ごしてもいいんだ!ってこと、安心して自分に許可してあげられるようになるよ!