数年前、人生に絶望して何もできなくなった時期がありました。
気づいたら感情をコントロールできなくなって、仕事中でもキレたり泣いたり…とにかくおかしかった。
人間関係も仕事も価値観もすべて崩壊させたなぁ…。
穏やかに生きられるようになった今、この時期を『絶望期』と名づけて、たま~に振り返る。
今回は、絶望期に突入したときやったことを整理してみました。
※お医者さんにかかっていないので、専門知識や医学的根拠などはありません。あくまでも我流でやってよかったと感じたことです。
人生の絶望期、こんな状態でした
『絶望期』なんて聞くと、壮絶なことがあったんだろうなぁ…って想像しちゃうと思うんだけど、そうとは限りません。
わたしの場合、端から見たらフツーーーに日々を生きている人(なんなら楽しそう、充実してそうって言われたり)で、自分の人生に"ショックな大事件が起きた"とかではなかったの。
ただ、気づいたら絶望してました。
振り返ると、こんな状態だったかな。
- 何もしたくない
- 何もできない
- 何も考えたくない
- 誰とも関わりたくない
- 過去も今も未来も見たくない
- 意欲がわかない
- 希望を持てない
- 不満・批判が止まらない
- 自分を許せない
当時は、決定的なことがあったわけでもないのに勝手に絶望して、正常に機能しなくなっている自分を"甘ったれてる"と感じて責めたりもしました。
でも、数年経った今はわかります。
長い間(20代のほとんど)、自分の本音を無視・否定し続けた結果が『絶望モード』だったんです。
他人の人生を生きようとするわたしに対して、心が「さすがにまずい…」と判断して、軌道修正させるために、大慌てでストップをかけてくれた。
なので、わたしは仕事もやめて、すべてを放棄して、とにかく休むことができたんです。
絶望期の休みかた
絶望期にやることは『うんざりするほど徹底的に休むこと』です。
が、休み方がわからないレベルまで来ちゃってる場合もあるので、もう少し掘り下げてみました。
休み方がわからなくなってたわたし自身が、今振り返って「この過ごし方をしてよかった!」と思えることを紹介します。
※絶望期じゃなくても、これからを見つめ直したいときのヒントが隠れているかも。
- 立ち止まる
- 考えない
- 感じる
- 頼る
1.立ち止まる
とにかく停止、立ち止まる、動き出さない。
そもそも動こうとするだけの気力が足りてないから絶望期なわけです。
なのに、そんな状態でも自分を急き立ててなかなか休ませようとしない人もいます。(わたしとか)
- 何か行動しなきゃ!
- 立ち止まっちゃダメ!
- 止まったら人生終わる!
という恐怖心をずーっと抱えていて、いつも焦っていたし、あらゆるものにしがみつこうと必死だった。
だけど、勇気を振り絞って、仕事とか人間関係とかすべてを停止したのね。(休職や退職、返信を保留にするなど)
そしたら、疲れが軽くなって心配事は減りました。
わかったことは失うものは失う、残るものは残る。
失ったスペースには、よきタイミングで新しい何かが入ってくるので万事OK、大丈夫です!
2.考えない
思考を休ませましょう。
この時期は、何に対しても徹底的に向き合わないことを推奨します。
考えるのって体力を使うし、考えてもどうにもならないことだらけです。
それに、絶望期は何を考えても「結論、自分が悪い!」にたどり着く自己否定祭を開催しちゃうのね。
過去のわたしは『1人反省会』が得意だったけど、正直、自分への暴力でしかなかった。
絶望期、何も考えずに生産性のない日々を過ごせたことがとっても癒しになりました。
- ただひたすらぼーっとする
- 無心になれる趣味時間
- 家の周りをプチ散歩
- 野菜のみじん切り祭り
- 困ったら寝る
究極、考え事をし始めたら、時間を気にせず無理やりにでも寝ましょう。
考えすぎよりは寝すぎのほうがいいです。
3.感じる
「考えるな、感じろ」です。
思考をぐるぐる巡らせること(=考える)は避けて、感じる力を取り戻していきましょう。
"感じる"って、とってもシンプル。
- 季節の変化を肌で感じる
- 今日の気分を感じる
- なんかいいな・嫌だなを感じる
だけど、考えることばかりしていると、感じることが苦手になっていきます。
たとえば、わたしの場合。
絶望期に至るまで、本当はやりたくないことばかりやっていました。
「心地よくない」と感じているのに、生活のために・損しないためにと考えを優先して。
心は感じたことを一生懸命伝えていたのに、考えを優先した結果が絶望期です。
当時のわたしは、感覚を無視しすぎて『感じる機能』が弱まっていました。
感じたことに善も悪もありません。
「この人キライ!」「これやりたくない!」って感じる自分にダメ出しせず、耳を傾けてあげるのが大切。
4.頼る
何もできない絶望状態なのに、それでも生きていくためには必要なことがありまして。
生活(食事洗濯掃除など)を回す体力と、当面の生活費です。
ここでつまずくと、休むことに集中できません。
なので、これだけはやっておきましょう。
- 信頼できる人に現状を伝えておく
- 行政のサポートを受ける準備をする
状況に応じて、実家に帰るもよし、信頼できる人に定期訪問してもらうもよし。
「今は何にもできない」と打ち明けておくことで、周りもどう接したらいいのか理解しやすくなります。
※よかれと思っての「頑張れ!」がしんどい…とか、わかってもらえると過ごしやすいよね。
安心して休むためには、身近な環境を整えておくこと(協力を求めること)も大切です。
実際、わたしはとっても救われました。
絶望期に避けたこと
わたしの感覚的に『絶望期との相性がよくなかったこと』を紹介します。
この3つは、元気なときは平気でも、弱っているときには大きな刺激になりやすいので避けるようにしていました。
- スーパーポジティブ論
- 意識高めな価値観
- 社会常識
スーパーポジティブ論
強要されている気がして苦しくなっちゃうから、ポジティブな人や情報には触れないように距離を置いていました。
ネガティブをやめようとするよりも、ポジティブになろうとするほうがしんどかったな。
暗闇の中にいる絶望期。
暗闇に光をバーーーーン!!っていきなり当てられたら眩しくて、嫌がらせ?って疑っちゃうのよ。
個人的には、常にポジティブでいる(いようとする)のは不自然なことだと思っています。
光ばっかで影がないなんて…おかしいよね?
自分の中にある影の部分を認めないってことは、つまり、自分の一部を否定するってことで不健康な感じがする。
大切なのは、自分の心の声をそのまま感じること。
その内容がポジティブなものかネガティブなものかは、さほど重要じゃないんだと思う。
意識高めな価値観
『意識高め』って表現をなんとなく選んだんだけど、わたしの中ではこういうイメージ。
効率重視・損得勘定・論理的
つまり、"考える"が主軸。
自分の本音を無視し続けて"感じる"を忘れてしまったわたしにとって、より一層、自分をわからなくさせてしまう価値観でした。
感じる力を取り戻すためには、非効率でムダなことに触れて心を癒してほしいし、推奨していることが真逆なのよね。
社会常識
「そういうものだから…」で片づけられてきた謎の常識たちって、何なんだろう?
想像以上に、常識・平均・一般という言葉に踊らされながら生きているんだよね。
でね、そこに自分を当てはめようとするから絶望が生まれるんです。
だって、そもそもの常識とされている『世の中の基本設定』が自分に合っていないんだから。
常識は移り変わるものだから、気にしないことです。
飽きるほど絶望を体感せよ
絶望を感じたらまずは休むこと。
うんざりするほど徹底的に「もう飽きたわ…助けて!」って言いたくなるくらい悔いなく休む。
その頃には、ほんのり前を向きたくなっています。
絶望するほど自分自身を追い込んじゃう経験、二度目はなくていいかな。
けど、自分なりに『絶望感』を体験できたのはよかったなと、今となっては思っています。
経験してみたくてもなかなかできないものだから。
ここ最近、気づけばずいぶんと価値観が変わったなと思って、今のわたしが思う『絶望期』のことを書いてみました。
また数年経って、自分が変われば解釈も変わって…を繰り返すんだけどね。