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これからは効率性より”心が喜ぶかどうか”で舵をとる

2023年12月15日

効率性よりも感覚を大切に

 

効率性、とっても大切だと思う。

けど、効率性を最優先して生きたときに、それは満たされることなのか?

20代の頃、効率性に偏りすぎて病んでしまった経験を通して、今感じることをまとめてみました。

 

”趣”を大切に生きたい

  • つまり、感じる
  • 心を置いてけぼりにした過去

 

つまり、感じる

”趣(おもむき)”って言葉が好き。

感覚的に使ってるから、あんまり理解できてないんだけども。

 

趣(おもむき)

しみじみとした風情が感じられる様子

だそうです。

 

…うん、やっぱりニュアンス重視で掴みにくい言葉だよね(^^)

今どきの言葉だと、”エモい”が近いみたい

 

わたくし、30代からは趣を感じられる生き方をしたいのです。

それはつまりね、人間味があるというか、おもしろみがあるというか、ドラマがあるというか…そういう感じ!!(?)

寄り道や回り道、そういう時間も含めて”らしさ”ができあがっていくと思っています。

 

このとおり、バシッと説明する理論派じゃなくて、「なんとなく感じとってくれる?」な感覚派なもので。

伝わるかなぁ…。

 

 

心を置いてけぼりにした過去

感覚派のわたしにとって、心がどう感じるかはスルーしちゃいけないポイント。

なのに、20代の頃、効率的かどうか?意味があるかどうか?に偏りすぎちゃったのね。

 

寄り道とか回り道とか、”ムダ”に思えそうなことも続けていたら価値につながる。

と、どこかで意識していたはずなのに、この価値観を徹底的に封印しちゃったわけです。

 

そしたら、30代になる頃には虚無感で病んじゃったのよね。

心に栄養が行き届かないんだから、そりゃそうなる。

 

人って、自分の本心と離れたことをすればするほど、しんどくなるようにできてるのね。

今思えば、自分のことを知るためには必要な時間でした。

 

▼ムダこそ自分らしさに繋がる

 

 

 

やりたいことに”効率性”は求めない

『意味があるか?ムダにならないか?』を重視しすぎると、しんどくなる。

特に、わたしのように寄り道も楽しみたい人は。

 

もちろん、ムダを最小限に抑えたいって気持ちはわかるの。

日常的にやらなきゃいけないことに対しては、効率性を求めるから。

家事も機械に頼ったりして、「エネルギーは違うところに使いたい!」って思うのは、自然なことだよね。

 

でもね、やりたいことや好きなことには効率性って考える必要がないと思うんです。

というか、『意味があるか?ムダにならないか?』なんて、そもそも気にならなくない?

 

意味がなくてもやりたいし、ムダになってもやりたいから。

 

どんなに忙しくても寝不足でも、好きなことのためなら時間を作る!

みたいな熱量が、そこにはあるはず。

 

結局、夢中になってやってる人には敵いません

楽しみながら努力できちゃってる。

 

 

 

意味は後からついてくる

『意味があるか?ムダにならないか?』を検索して結果次第でやめるつもりなら、それは”あなたが心からやりたいこと”ではありません。

 

目的は別にあって、そのための手段として気になっているだけ。

目的と手段がごちゃついちゃうと、何をしたいのかわからない迷子ちゃんになっちゃうので、要注意!

わたしが過去に病んじゃった原因の一つにもコレがありました。

 

もし、「意味ないよ」とか「それ、ムダじゃない?」って言われても、やりたいなら続けましょ!

ネガティブなアドバイスには動揺するかもしれないけど、その人なりの思いやりです。

「心の喜びって何?」って感じる人もいるから仕方ないさ!

 

意味なんて解釈次第で変わる。

身をもってムダを体感することにも価値があると思うの。

なんでも便利な世の中だけど、心が喜びそうなことなら効率性はいったんポイっと捨ておきたい。

 

  • この記事を書いた人
(仮)Mikazuki

みかづき

30代|在宅ワーカー|HSS型HSP|ENFP|パラレルワーカーを目指してハートとスキルを磨くアラサー|仕事もプライベートも自分軸を大切にする生き方|器用に生きられない・もっと楽に生きたい人へ向けて、不器用でも楽しく生きる方法をシェアしています。

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