数ヶ月前から始めた断捨離。
これまでも定期的にやってはいたんだけど、やるたびに新たな発見があるからおもしろい。
自分のために一生続けたいことのひとつです。
今回気づいたことを記録しておきたいと思って書いています。
「変わりたい」と言いながらも、実際には変化を拒んで"変わらないままでいようとしていた自分"をやっと自覚したよ!というお話です。
"それ"と同居し続ける気分はいかが?
- 長年の"めんどくさい"から卒業
- 自分に対して愛のある選択を
長年の"めんどくさい"から卒業
わたしのずーーーっと捨てられなかった"それ"は『古いお布団類』です。
今回の断捨離でやっと捨てられました。
使わなくなってから3年くらいは経ってたのに!
家の結構なスペースを陣取っていたのに!
それでも捨てられなかったのは、捨てるのがめんどくさかったから!
「…え?それ理由になってる?」って感じですが、本当にその一点張りで「やる気が出たらやろう」とか言って放置してたの、何年も、ずっと。
- 大型ごみの手続き(手間だし難しいよね)
- 外に運び出す(大変じゃん、できないよ)
こんな風に、行動しないための言い訳を並べて何年も放置するっていう選択に至ったわけです。
これまでの断捨離でもスーパー見て見ぬふり。
きっと神様も「この人は一生この荷物と生きていくんだろうね」って思ってたね。
そこを乗り越えられたことが、今回の断捨離での1番のスッキリ感&気づきを与えてくれた行動選択でした。
自分に対して愛のある選択を
でね、なんで乗り越えられたか?と言うと。
自分の本音(違和感・不快感・罪悪感)を無視し続けている自分を、いよいよ見つめ直したくなったから。
お布団が視界に入るたびに、どんよ~りした罪悪感みたいな重たい感情が湧いていたんです。(思えば何年も!ぞっとする…!)
改めて、わたしの思い描く『理想の自分のあり方』を思い返してみたの。
- 大切にしている価値観は?
- どんな暮らしを送っている?
- 大切にしている習慣は?
「わたしが理想とする自分ってこういう人物だったわ!」と思い返した後、照らし合わせてみました。
今現在のわたしの人物設定と。
結果、『古いお布団をずっと手放さずに同居し続けている自分』は、わたしのありたい自分像にはマッチしなかった。
つまり、このままだと、わたしの望んでいない方向にズレた状態で人生が進んでしまうってこと。
A.捨てるのがめんどくさい自分
B.理想のあり方を実現したい自分
自分のなかでどっちの存在が強い?って自問自答したとき、「どう考えても後者B!」って答えていた。
なのに、これまでの数年間、わたしが優先し続けていたのは前者Aの存在だった。
本音に反する選択をし続けているのは、自分自身の望みをガン無視しているってことで、それって自分に対して愛のない態度よね。
長年放置したものを捨てられてやっと自覚した。
- 変化したい
- 成長したい
- 新たな自分に出会いたい
- 自分を大切にしたい
こういう自分の望みを否定して邪魔していたのは、自分自身だったんだなと。
何度も繰り返すことで気づく
変わりたい!って言いながら変わらない自分にどこかで安心感を覚えている
こういう話って知識として(心理学とかで)聞くことはあるけど、やっと腑に落ちたというか自分事にできたのが嬉しかった。
しかもね、昔のわたしなら、それを自覚した瞬間に全力で自分を責めていたと思う。
「だからわたしはダメなんだ!」みたいなさ。
でも、今回は気づけたことが嬉しすぎたのと、「そういうことだったんだ…!」的な衝撃?でいっぱいで、自分を責める気がまったく起きなかった。
自分の状態を観察して理解するってことを淡々とできた喜びとでも言えばよいのかな?
とにかく、行動の裏にはいろんな本音が隠れているものなんだなぁと、改めて気づかせてもらいました。
ずっと捨てられずにいたものを捨てられて、同時に価値観も見直せて、本当にやってよかった!(断捨離は毎回そう思わせてくれる)