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自分に対して丁寧に接する暮らし

自分に対して丁寧に接する暮らし

 

わたしなりの『丁寧な暮らし』を構築し始めている今日この頃。

どんな道すじをたどるのか、備忘録です。

 

丁寧な暮らしへの憧れと偏見

  • 個人的『丁寧な暮らし』のイメージ
  • 自分自身に丁寧に接する人でありたい

 

個人的『丁寧な暮らし』のイメージ

『丁寧な暮らし』をしたい。

あらゆる面で余裕がないと丁寧に生きられないはずで、その余裕感に憧れているのかも。

 

でね、憧れのままで終わらせているのは、自分にはしっくりこない気がしているから。

というのも個人的にイメージする『丁寧な暮らし』がね、隙がなさすぎて自分にはできそうにないのよね。

 

早朝、植物に水をあげてヨガをしてから始まって、愚痴も不満もこぼさずテキパキと(でも和やかな空気感で)働いて、お昼休憩は落ち着いたカフェかお気に入りのスポットで持参ランチしつつ、読みかけの本を読む。

気の合う同僚はいるものの、ムリして合わせたりはせず自分のリズムを大切にできる。

夜はゆっくりお風呂に浸かってキャンドルと共に映画観たり日記をつけたり…

※憧れと偏見と妄想で妙に具体的な描写

何事もやってみないと本当のところはわからないのに、わたしの事前妄想が大げさなのはいつものこと。

 

 

自分自身に丁寧に接する人でありたい

わたしの偏見と妄想から考える『丁寧な暮らし』を実践するのは難しそう。

インスタント麺とか食べないだろうし、家の中でもつま先までケアが行き届いているだろうし…抜かりない丁寧さ。

憧れるけどハードルが高すぎる!完璧ストイック美女は目指す気にもなれんのよ!(?)

 

だけど、暮らしが人を作るわけで、『丁寧な暮らし』から学べることってたくさんありそうで。ムリのない範囲で取り入れたいなと。

なので、超自己流解釈で『自分に対して丁寧に接する暮らし』に変換して実践してみました

実験の結果、わたしなりの丁寧な暮らしを構築できそうなので、その記録を残しておこうというお話です。

 

 

 

自分に対して丁寧に接する暮らし

わたしなりの『丁寧な暮らし』を構築するためにやったこと、流れはこんな感じ。

  1. 好きに体験させてあげる
  2. "快"と"不快"に気づく
  3. 結果、『丁寧な暮らし』が実現する

 

1.好きに体験させてあげる

自分に対して丁寧に接するってことは、自分を放置しないってこと。

もっと言うと「どんな自分でもかまってあげる」って感じです。

 

自分の本音はいったん聞き入れてあげて、要望を叶えるためのサポートをしてあげます。

"しょーもないこと"でも"自分にとってよくない気がすること"でも、否定せずにまずは好きにさせてあげるんです。

「激辛ラーメン食べてみたい!」と騒ぐ小さな子に対して、「絶対に食べられないし後悔するよ」ってわかってるけど、(危険が及ばない範囲で)試させてあげる親みたいな感覚。

 

自分の心がやりたい!って主張するなら、よくないってわかってることでもやらせてあげました。

  • 深夜にジャンクフードを食べる
  • ダラダラして1日をムダにする
  • 負の感情を爆発させる

こう見ると『丁寧な暮らし』からはかけ離れていくように思えますが、最終的にちゃんと整うので大丈夫。

『自分に対して丁寧に接する暮らし』的には、今の自分がやりたい!と主張していることを聞き取ってあげているので〇なんです。

 

大人になると、有意義なこと以外は頭ごなしに否定しちゃったり、そもそも自分の本音が聞こえなくなっていたりする。

でも、そのままだと「誰の人生?何のための人生?」って動けなくなるときがきます。(わたしの場合、そうだった)

だから、本音が聞こえているなら否定しないであげてほしいなと。

 

 

2."快"と"不快"に気づく

好きに体験させてあげるうちに、ハチャメチャな主張は少しずつ減っていきます。

そして、自分の本音に気づき始めるんです。

  • 別にこれ好きじゃないわ
  • そろそろ飽きたかも…
  • よく考えたら気分あがらないな

わたしの場合、だいたいこの3パターンでした。

 

爆食も散財も怠惰な生活も他人にストレスをぶつけたり悪口を言ったりするのも、好きにさせてもらった後、「別にもういいや…ていうか冷静に考えると楽しくないな」と気づきました。

たいていは、やっちゃいけないことをやるスリルや背徳感を、ワクワク・楽しいってこういうことだ!と脳が勘違いしているだけなんです。

反抗期みたいなもので、そのうち目が覚めます。

 

でね、目が覚めた後が大切。

いいこともムダなこともよくないことも好きなだけ体験したおかげで、自分のご機嫌のとり方がわかりやすくなるんです。

  • 爆食中は幸せだけど、肌荒れで落ち込む
  • 悪口や不満を言ってる自分の顔、こわ!
  • 1日中ダラダラはかえって疲れる

どれも体験したおかげで『自分オリジナルのリアルなデータ』となって蓄積されていくのでムダにはなりません。

"自分的不快"を自覚できたら、"自分的快"もイメージしやすくなります。

 

 

3.結果、『丁寧な暮らし』が実現する

体験して本音を知って…を繰り返していくうちに、自分への理解度が高まります。

「〇〇をすると■■な気持ちになる」

わたしの場合、こうしてデータ収集をしていくうちに、自然と『自分なりの丁寧な暮らし』の形が見えてきました。

 

不快になるとわかっていたら、わざわざ自分から不快に近づきませんよね。

不快から離れられると精神的に余裕が生まれて、すると発散したくなるストレスもないから金銭的にも余裕が生まれて…って結構じわじわと効果的。

不快から距離をとる行動が『丁寧な暮らし』に繋がる…そんな印象です。

 

最初はハチャメチャだった主張(爆食や散財、不幸体質な行動)も、時間とともに内容や温度感が落ち着いてきます。

なのでわがままで非常識な主張だったとしても、そんな自分に幻滅せずに「どうぞ~試しにやっちゃお~」ってゆるく付き合ってあげてください。

 

 

 

わたしはわたし、あなたはあなた

『丁寧な暮らし』を『自分に対して丁寧に接する暮らし』っていう解釈で捉えてみたのが、わたしには合っていたみたいです。

 

「丁寧な暮らしをしている人が〇〇をやっているから」と、参考にして試してみるのはいいけど、実際に試してみてしっくりこないなら遠慮なく却下(もしくは保留)しちゃいましょう。

"自分にしっくりこないのに誰かがおすすめしているから続ける"っていう考え方が、自分に対して丁寧に接している人の考え方じゃないからです。

 

結局、『丁寧な暮らし』とはどういうものなんだろう?って、疑問のままなんだけど、それぞれの解釈でいいよね!

 

  • この記事を書いた人
(仮)Mikazuki

みかづき

30代|在宅ワーカー|HSS型HSP|ENFP|パラレルワーカーを目指してハートとスキルを磨くアラサー|仕事もプライベートも自分軸を大切にする生き方|器用に生きられない・もっと楽に生きたい人へ向けて、不器用でも楽しく生きる方法をシェアしています。

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