今回は、安定だけじゃなく不安定も適度に取り入れておきたいなっていうお話。
たいていの場合、安定を求めて不安定を避けようとする。
けど、ちょっとだけ不安定な要素を持っていたほうが人ってバランスがとりやすい、つまり結果的に安定するような気がして。
てな感じで、本日もわたしの思考整理メモにお付き合いいただけると嬉しいです。
安定と不安定
安定とは?不安定とは?
考え事をするとき、まずはそのテーマに関係する言葉の定義をはっきりさせたくなる。
というわけで、そもそも『安定』『不安定』って?
安定とは
物事が、落ち着いていて、激しい動揺や変化のない状態にあること。また、そのような状態にすること。
不安定とは
安定しないこと。落ち着かないこと。すわりが悪いこと。また、そのさま。
辞書にはこう書いていました。うんうん、そんなイメージで使ってた。
ここでわたしなりの表現で言葉のイメージを残しておきます。
安定とは
- ホーム
- ほっとする感覚
- 当たり前の日常
- 変わらないもの
- 間違うと惰性化
不安定とは
- アウェイ
- そわそわする感覚
- 不快感
- 不慣れ
- 新参者
こうして眺めてみると、やっぱり『不安定』は読むだけで心がざわつくし、わたしたちが『安定』を求めたくなるのも納得だよね。
ただね、最近感じるのが、100%安定要素で構成する人生って(すごい気もするけど)おもしろみには欠けるかも…という点。
ちょっとの不安定を受け入れる
- 安定か惰性か
- 不安定を安定へと育てる
- 安定と不安定で支え合う
安定か惰性か
安定要素のみで構成する人生が実現可能かどうかはさておき。
なぜ心惹かれないのかと言いますと、安定は鮮度が落ちるとただの惰性になってしまうから。
しかも、『安定』と『惰性』をはき違えていることに自力で気づくのって結構むずかくて、抜け出せないままになったりもする。
それただの惰性でズルズル続いちゃってるだけだよね…正直なとこどうなの?ってこと、ありませんか。
仕事でも恋愛・家族・友人関係でも、状況が変わるのが怖かったり行動するのが億劫だったりするから、まあとりあえず…って目を伏せていること。(わたしも耳が痛い。)
じゃあ、安定が惰性にすり替わってしまうのを避けられれば平和だよね。
となるとそこで活躍してくれるのが、あれだけ苦手視していた『不安定』なんです。
不安定を安定へと育てる
不安定要素はデメリットだらけのように見えて、付き合い方次第ではメリットもありまして。
不安定を安定まで育てようと動くと、
- 新たな可能性の扉が開く
- 自分自身に夢中になれる
- 思い込みを解除できる
つまり、自分の中に新しい風を吹き込んでくれるんです。
学期の途中で現れた転校生みたいなものかな、最初はざわつくけど、クラスや学年全体にとっていい刺激にもなってくれるよね。
とはいえ、割合には注意が必要。
個人的にはほんのりスパイス的な立ち位置で取り入れたいから、不安定要素は全体の1~3割くらいを目指してます。
すでにある安定要素という支えありきで、ちょっとだけ冒険できる余白を作ろう!くらいの感覚です。
安定と不安定で支え合う
感覚的なものだから個人差はあるだろうけど、安定過多でも不安定過多でも、なんとなく違うんだよね。
わたしの場合、安定過多のときは閉鎖的になって退屈を感じる時間が増えたり、自分自身の伸びしろみたいなものを感じられなくなる。
でも、漠然とした不安やネガティブ思考は少なくなって心穏やか。
不安定過多のときは、知らなかったものに出会って世界が広がる感じはする。
けど、いつも「明日生きていけるかな」的不安感がつきまとっていて、心身ともに不調だらけで幸せを感じにくい。
だから、安定8の不安定2くらいで補い合うのが理想かな。
- いつもの日常を継続していくことで得られるもの(安定)
- 新たな概念に触れることで得られるもの(不安定)
どっちかだけじゃなく、どっちも同時に稼働させることでそれぞれのいい部分がのびていって、いい循環が生まれるイメージです。
いつでもフレッシュであれ
2024年、わたしが1番意識している『循環』という言葉。
循環について考える中で、安定と不安定のバランスも大切だな~って気づいたんです。
とにかくよどまない、にごらない。
そのためには、安定の中にちょっとだけ不安定を巻き込んで、たまに心をざわっとさせてあげる。
安定を育てるのが得意な人もいれば、不安定を取り入れるのが得意な人もいるよね。
まずは今の自分は安定何割で不安定何割かな?って考えてみて、理想のバランスを探求してみてほしいな。
安定はコツコツ続けることで育ち、不安定は新たな世界に触れに行くことで出会います。
どちらも興味があったり好きだったり、沸き上がるワクワクな気持ちみたいなものがないのに関わろうとすると調子を崩すから気をつけてね!
自分に素直に、「育てたいな、触れてみたいな」と思えることであるのは大前提です。